【ブラスタ】BLACKSTAR~Theater Starless~ 曲 解説メモ

ブラスタの公演楽曲、演目の原典等について調べたことを書いています。

縷々たるは祈望


【原典/翻案】
16世紀、日本の「戦国時代」を生きた、浅井長政 (あざい ながまさ) とその正室である お市 (いち) に焦点を当てた、史実に基づく創作公演。


【曲名について】
縷々たる (るる・たる)
 途切れることなく延々と続いている様子
 細く長くずっと続くこと
 果てしない様子
祈望 (きぼう)
 神仏などに、祈り願うこと
 強く願望すること


【概要】 ※諸説あり
楽曲は長政視点ですが、キャストに豊臣秀吉や柴田勝家もいることから、少し長めに歴史を辿ってみます。

・浅井長政
北近江の小谷城主 浅井久政 (あざい ひさまさ) の嫡男。南近江で勢力を誇る六角家で人質として生まれ過ごした。そして、六角家の家臣の娘と結婚し男の子2人を儲けたが、後に六角家に離反し婚姻解消。浅井家は勢力を広げていくことになる。

・お市
聡明で見目麗しく、戦国一の美女と称されていた織田信長の実妹。信長たち兄連中が溺愛し、織田家家臣にも慕う者が多くいたとされる。


1. 政略結婚
織田信長は六角家に離反し浅井家を盛り返した長政の手腕を買っていた。さらに、美濃を落とすためには浅井家との繋がりをより強固にする必要があると考え、お市と長政の縁談を進めた。
浅井家の家臣には、長政の盟友である越前の朝倉義景と信長の対立を理由に反対する者もいた。しかし長政は、朝倉を攻めないという約束をとりつけたうえで、お市との結婚を受け入れた。


2. 金ヶ崎 (かねがさき) の戦い(1570年)
信長は長政との約束などなかったかのように、朝倉攻めを開始した。この戦いで長政は朝倉に加勢したため信長の怒りを買い、織田家と浅井家は断絶状態となる。
長政とお市は、政略結婚でありながら大変仲睦まじい夫婦となっていた。お市が長政の味方となり兄と敵対する姿勢を貫いていため、織田家から お市を返すように要求があっても、長政はこれを拒否した。


3. 小谷城 (おだにじょう) の戦い(1573年)
信長が北近江に攻め入り、小谷城は陥落。長政と父の久政は城内で自害し、お市は3人の娘と共に織田家臣に救出された。前妻の息子2人も城を脱出したが、嫡男は捕らえられ、信長の命により豊臣秀吉によって処刑。次男は仏門に入り、浅井家はお家断絶となった。


4. 清須 (きよす) 会議(1582年)
お市と娘たちは、信長の保護のもと不自由なく暮らしていた。
しかし、本能寺の変で信長が死去。家臣たちが尾張の清須城に集まり、領土配分や後継を巡る話し合いが行われた。このとき、自分に優位にことを運ぼうとする豊臣秀吉に柴田勝家は不満を抱く。秀吉は詫びにと言わんばかりに、勝家とお市の婚姻を取り計らった。


5.  賤ヶ岳 (しずがたけ) の戦い(1583年)
清須会議以降、対立を深めていった秀吉と勝家は賤ヶ岳で合戦となる。そして、勝家は秀吉に敗北。勝家は越前の居城に撤退すると、お市と娘たちを逃がそうとする。しかし、お市はそれを拒否。浅井と織田の血を守るようにと諭した娘たちを逃がし、勝家は お市を刺して自害した。


6. 長政と お市の娘たちのその後
賤ヶ岳の戦い以降、秀吉に保護された3人は歴史に深くかかわっていくことになる。
 ・茶々:豊臣秀吉の側室で、豊臣秀頼の生母。秀吉の死後、秀頼の後見人として政権を握るが、徳川家康との戦い (大坂夏の陣) に敗れ秀頼とともに自害した。
 ・初 (はつ) :若狭国小浜藩藩主 京極高次の正室。高次は従兄かつ幼馴染であり、恋愛結婚であったとされている。高次の死後に出家し常光院と名乗る。人望のある人物で、戦の仲介役や交渉役を任されるほどだった。
 ・江 (ごう) :江戸幕府第2代将軍 徳川秀忠の正室で、3代将軍 徳川家光の生母。直系子孫が大正天皇の皇后であり、現在の天皇家は長政・お市の血を受け継いでいる。


【参考】
信長の妹・お市の旦那!浅井長政をゆるりと楽しく解説!
https://www.touken-world.jp/tips/11097/


【PV】
ブライダルイベントPV「縷々たるは祈望」 - YouTube


【歌詞】
2022/04/24 歌詞を削除いたしました。