【原典/翻案】
太宰治作 小説「駈込み訴え」
【曲名について】
意味:キリスト十二使徒の一人(ユダ)、転じて「裏切り者」の意味でも使われる
【青空文庫:駈込み訴え】
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/277_33098.html
イスカリオテのユダは、イエス・キリストをお金と引き替えに売り飛ばし、その裏切りにより、イエス・キリストは処刑されたというのが一般的に知られているエピソードです。
太宰治は、ユダの視点で、彼が裏切るまで至った過程、心の動きを、本人の独白形式の物語に仕立て上げます。これはフィクションであって、太宰の想像の世界でしかありませんが、本当にそうだったんじゃないかと思わせる内容になっています。
ただし、古い語り口調なので、ちょっと読みづらい。。。
なので、簡単に概要を記載しておきます。
物語は男の語りで進んでいく。
男は「あの人は酷い人だ」と話しの聞き手に訴える。
あの人とは、彼の師のこと。
師は卑しい自分とは違って、欲がなく美しい。
師は一度だけ、自分に優しい言葉をかけてくれた。
それ以来、私は心から師を崇めてきた。
しかし、あるとき女に対して顔を赤らめる師の姿を見て、私は嫉妬を覚える。
また、女に優しく接する師の姿を恥じ、このまま醜態をさらし続けるぐらいないら、自分の手で師を殺してあげなければと思うようになる。
ある晩餐の時、師は弟子たちに向けて言った。
「おまえたちのうちのひとりが私を裏切る。私は今からその者に一つまみのパンを与える。その者は不仕合せな男であり、生まれてこない方がよかったのだ。」
そして、男の口にパンが押し当てられた。
男は晩餐の場から駆け出して、やって来たのだ。
話の聞き手は、お金を男に手渡す。
私は、本当は師を愛してなんかいない。私は、儲けたくて師に従っていただけだ。そうだ、それが事実だ。私は、儲けさせてくれない師を見限ったのだ。
世の中は金だけだ。私は卑しい。だからお金を頂戴します。
私の名は、イスカリオテのユダ。
【MV】
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